イタリア 

(100リラ=約8えん)

 ○フィレンツェ
 スイスのインターラーケンから、列車をミラノで乗り換えて、フィレンツェに着いた。
 所要、約6時間(もっと早い、高速列車もある)山々を抜け、渓谷を走るこの列車は景色がとてもよく、見ていてあきない。イタリアとの国境で、めずらしく、2回もパスポートのチェックに来た。
 フィレンツェへは午後5時頃着いた。すでに宿はいっぱいの状態で、町をウロウロ探したが全然見つからないので、ツーリストインフォメーションに頼むことにした。ところがここも大混雑、でもしかたないので列の最後尾に並んだ。でも一向に進まない。先頭のほうを見ると、担当者は話し好きとみえ、こっちのイライラをよそにジョークらしき会話を旅行者に連発している。ああ、ドイツと全く違う。これが気質のちがいというものだろうか。おしゃべりが渋滞の原因だった。でも退社時間はしっかり守るようで、時間前にはボクのうしろのドアがバシッと閉められた。夏の、クーラーも天井扇もない、バックパッカーの汗が充満したむさくるしい部屋で、皆、汗ダクになりながら、楽しいのか楽しくないのかジョークを聞いていた。
 それでもなんとか部屋が見つかり、入れたのが9時前。疲れ果て、この日は夕食なしですぐに寝た。宿はW約8000円、朝食込み。

 
 
翌日、サンタマリア・ノベッラ駅近くのロケーションのよい宿に移動。W約6400円で共同のキッチン、冷蔵庫付き。
 
台所はいつも旅行者でごったがえす。欧米の旅行者はパスタとか冷凍ピザとか簡単に作る傾向があるが、際だって奮闘しているのが、香港人4人組とパキスタン人2人組だ。
 この香港人は、「中国への旅行でたまたま4人が一緒になり、7年振りに、皆、一斉に仕事を止め旅行をしている」という変わり者。一人は日本へ留学していたそうで日本語を話す。でも、4人一緒に仕事を止め、旅行するとはオモシロイ。気さくな連中で、キッチンを覗くと食べようと誘ってくれる。香港人とはどことなく気が合う。
 パキスタン人は旅行ではなく仕事のようだ。料理は毎日、香辛料をまぶした料理。アジア系ということで仲良くなるのが早い。
 町の中心はドウオモ広場にある『花の聖母教会』。この教会は他の建造物に比べぬきんでて大きく、高さ106mあり、町のシンボル。大理石で造られた幾何学模様やいろんな彫刻が施された外壁。内側にもミケランジェロの作品や装飾品が飾られている。
 6月も終りだと、日中は暑く、銀行や商店も2時間ほど休むが。そんななか、この石造の教会はひんやりすずしく、たびたび休息の場にさせてもらった。教会の隣の塔から見たフィレンツェはレンガ色の積み木を並べたようで、見ていて飽きない。家の屋上のところどころには、傘とテーブル、イスという3点セットが置かれている、夕暮れ時には人々が出てきて、1日の最後を楽しむのだろう。

○アルゼンチンのエリート

 
あの白玉だんごのようなものはなんだろう。隣にいた人がそれを注文したので「それ何?」と聞くと、「ニョッキ」だという。彼はアルゼンチン人でアルゼンチンでもよく食べるらしい。
「お前どこの国や?」と聞くので「日本や」と答えると、彼の目がキラリ、その光を見てボクも理解した。3秒もたたない内に二人は熱い抱擁、はしなかったけれど、感動のハグをしていた。
 彼は、アルゼンチン×日本戦のサッカー(彼はフットボールだと強調していたが)応援のために、フランスに入り、日本戦、ジャマイカ戦を観戦した後、イタリアを回りフィレンツェに来たのだという。そこいらの兄ちゃんに見えたけど、エリートサラリーマンでアルゼンチンの大学院を卒業後、米国留学をして、エンジニア関係で働いているという。ワールドカップのスポンサーである会社が用意した、10枚のチケットと航空券をめぐり社内コンペが行われ、それに彼が選ばれたという。
 それで今はボクと同じテーブルでニョッキを食べながら、日本に勝って「ソウリー、ソウリー」と言葉とは裏腹に、嬉しそうにしゃべっているのである。
 会社がチケット、航空券、休暇を用意するとはなんと懐の大きいことか、というより、サッカーに対する情熱の違いか。
 明日はニースに行く予定とかで、「トップレスや」とこれまた嬉しそうに言う姿は、アルゼンチンエリートの真の姿をかいま見た気がした。
 それにしても、ドイツやイタリアのサッカー熱は噂に聞いてた通り凄い。町を歩いていると、テレビを皆が見えるように設置、放映していて、一人で見るより皆で見る方がいいようだ。
 イタリアでは勝利した後、パトカーを先導に、4~5台のバイクが旗を振りたて、クラクションを流しながら疾走していたのが印象的だった。でも、旅行に来る前、たまたま日本で会った自然食指向のフランス女性が、「ああいう、商業主義のスポーツには自然食の人はいかないものよ」と言っていたのも、耳に残っている。


○ローマ
 イタリアの豪華列車、ユーロスターに乗りフィレンツェからローマに2時間弱で到着した。
 ローマには、人口約1000人と言われるヴァチカン市国にカソリックの総本山、サン・ピエトロ寺院がある。水曜日にはヨハネパウロ2世が話をするとかで、それを知らずに行って、すごい人波にビックリ。
 壇上に現われるや、広場から歓声があがり、カリスマ性を感じる。以前、長崎でチラッと見たときはただのおじさんだったが、何万という群衆の熱狂振りを見てるだけで、おじさんから英雄に見えるから不思議。
 遠くから、点のような白い服を見たい訳ではないので、出直すことにした。再来年は2000周年。一体どれだけの人がここに集うのだろうか。
 イタリアというのは日本と同じようなファシズムを経験した国、そんな時この総本山や、この群衆はどういう態度をとったのだろうか、とふと考えた。
 翌日、ノースリーブや短パンで入れない人たちを横目に、寺院内に入った。ここは、ルネサンス芸術の集大成といわれ、ミケランジェロが、ドームまでを造りあげたという。上下左右全てが美術品でその大きさと繊細さに圧倒される。
 その横のヴァチカン美術館は一般に公開されている展示コースだけで“7キロ”になり、中は美術品で埋まっている。正に権威の象徴だ。これでもかこれでもかと目に入ってくる美術品を疲れない程度に見て、『システーナ礼拝堂』に入る。ここも壁画、天井画でいっぱい、ミケランジェロの『最後の審判』など、日本語の案内もある。けど、すごい人。
 例の『スペイン階段』では日本の青年がギターを弾きながら「リンダ リンダ」と歌っていた、元気はよかったが、下手。禁止になっているが日本人の年配の女性2人がソフトクリームをおいしそうに食べていた。青春真っ盛り。『真実の口』は、ただ口に穴が開いているだけ、後ろはすぐ建物の壁で、行って、写真を撮って、ハイ終り。でもそこに行ってしまうのは映画の力だろうな。
 ローマの巨大遺跡のひとつ、5万人収容の円形劇場『コロッセオ』。
 人間対動物、人間対人間などを闘わせた血生臭い場所でもある。
 ここを歩いていたら、中学生位の少女3人が寄ってきた。新聞を買ってくれというのだ、ひとりが新聞を前に広げ、後の2人が側面からバックやポケットからお金などを盗むという窃盗グループだった。かすかにポケットに手をかけられそうになったので分かったのだが、こいう若い子や赤ちゃんを背負った女性など、話には聞いていても気を許してしまう。いい旅をするには盗まれないようにすることも大切、盗まれると気持ちがふさぎ込むし、町の印象も悪くなる
 ローマからベニスに行く列車で、隣席の旅行者が駅で財布を盗まれたらしく、盗まれた中身以上に、気の毒なほど落ち込んでいた。列車に乗り込み、席番号を聞かれた時らしい。敵も乗客のふりをして、車内まで乗ってくるとはたいしたもの。席を見つけるとホッとするからネ。
コロッセオでこの窃盗グループをボクが怒鳴った際、ひとりの少女は手を口にもっていって、何か食べたい様子を示していた。正直な子供たちなのかもしれない。ちなみにイタリアの失業率は約12%という。


 

せっけんを持って旅に出よう  


 
イタリアではよく待たされる。ベニス行のチケットを買うのに半日もかかった。1時間30分の間ずっと並んで、カウンターまできたらボクらの前で、急に閉窓。「別のカウンターに行け」というのだ。これで微笑みを忘れない人は、きっと中国のトイレでも笑みを絶やさないに違いない。
 それでまた、別のラインに並び直し、待つは待つは、永遠にチケットが買えないんじゃないかと思った程だ。それでもやっとチケットを買えて、 ベニスへ向かった。
 途中何人かの旅行者から「ベニスは物価が高いよ」と聞かされていたが、宿が、朝食無し、シャワー・トイレ共同でひとり4000円と、言う通り。
 島は歩いて回れないほどではなく、毎日よく歩いた。車が町中に入れないので歩きやすい。別の島へはボートで行く。ベネチアングラスを見に行ったり、さまよい巡った。
 海はいいなと思う。ボクの田舎も前が海だが、養殖イカダだらけでいまや景観もなにもない。チョット寂しい。
 島を回っていてあることに気がついた。釣り人がいないのだ。変だ。観光地だからかなと思っていたら、現実はそんなものではなかった。


海水の一部にはヘドロがたまり、泡がでているところや、異臭がするところがある。汚染がひどいせいだ。
「魚を食べたり、釣りも禁止されてるんよ」と自然食品店『フルーツ&ベジタブル』のエミリオは言う。「え!」ここは世界屈指の観光地、しかも水の都。美しい海でなければならないのだ。海に浮かぶ歴史の島。なのに釣りすらできないとは。
「15年(と言ったと思う)前あたりから、人に“障害”が出始めたんよ、そして今でも人が死んでいるんよ」これを聞き、タイのことを“東洋のベニス”という言い方を止めることにした。多少汚れているとは聞いていたけど、彼の話を聞くと、症状は水俣病のような感じだ。
 海の汚染の最大の原因は対岸にある大工場群にある。確かにベニスに列車で入る際、真っ先に右手に多くの工場の煙突が見えてくる。これが原因と彼はいう。
「深刻なのは政府や行政がこの問題を放置していることよ」
と政治の博士号を持ち、銀行で20年働いていたエミリオは嘆く。対策がとれないのはマフィアとの関係があるらしく、政治とマフィアはしっかり癒着しているそうだ。
 海水汚染の対策として、ベニスでは合成洗剤を使ってはならないらしいのだが、
「スーパーでは売られてて、人々は安いからと買うし、ホテルも旅行者も合成洗剤を使うんよ」
「そうだ合成洗剤は追放しなくちゃならない、日本なども減るどころか増えているのだ、新聞屋さんが持ってきたら、しめたと貰う人が多すぎる。それがメーカーの狙いなのだ」とボクは全く同意した。
 でもなんたることか。汚染の広がりとか、どういう病気なのか詳しいことは分からないが、悩めるエミリオは真剣に話してくれた。
 日本の旅行代理店の中には知っているひともいるだろう。せめて、“海をきれいにするために、ベニスではせっけんを使いましょう”とカタログに一文を入れて欲しいものだ。

 

 話はそれるけれど、自然食品店をしていてたびたび考えさせられたことがある。“水が汚れれば汚れるほど、浄水器は売れる”という悪循環である。環境を考えるということは浄水器を売ることではなく、汚水やその原因を取り除くこと。経済社会にあっても、ただ売らんかなの姿勢には疑問があった。
 日本でも環境を、環境産業として取り上げる企業が増えている。それはそれでいいのだが、産業の視点ばかりが強調されると、別のひずみが大きくなりそうな気がしてならない。環境はお金になるが、そうでない部分の方が大きいから。
旅行代理店もヨーロッパで人気がある“アグリカルチャーツアー”のような、環境をテーマにした企画と同時に、お金にはならないけれど、美しいベニスを守るため“観光の町を汚さない”努力があっていいのではないか、とボクは主張したい。


この島の問題はこれだけに留まらない。物価が高く、土地がなくて、住みづらいのだそうだ。それで若者が島から出てゆき、お年よりの多い町になってしまったという。彼は「300年前の人口は多かったのに」とすごいことを言う。
 日本は水俣病を引き起こした国。それは大きな被害がでるまで黙り込む。小さい声を出さない、聞かない、そうした文化があるとボクは理解しているが、ベニスも似ているのかも知れない。
 お店『フルーツ&ベジタブル』は名前のとうり野菜が多い。自然食品店で最も売りたいものが野菜。それは毎日食べる物だから。ろばやでは、野菜は他のものに比べて利益を上げることが難しかった。このお店はその野菜を中心にして加工品はとても少なく、冷蔵庫は置いていない。こういうお店、日本ではほとんど見かけない。志の高い、しかしあまり売れないお店だとにらんだ。
 手助けできないものかと日本人観光客用に「有機無農薬やさい、みそ、醤油、梅干しあります」と書いて張り出した、がその後どうなったかは知らない。でもこんなお店がベニスにあることで抱えている問題とは裏腹に、この町に親しみができた。ベニスはまだ死んでいない。頑張れ、『フルーツ&ベジタブル』。


○ミラノ経済圏    

 ミラノへは電車で約3時間。宿は広くて安くて、ベランダがあり、ひとり2800円(ト・シャ共同、朝食ナシ)。イタリアに来て、一番よかった宿。
 この国の宿さがしは恵まれていない。ローマなどは部屋の中に「洗濯したら罰金」「シャワーは短時間で入れ」など細くおたっしがあり、まるで泊まり客は侵入者扱い。それでいて値段は安くはない。
 イタリアは食事代も高く、ドイツより旅行費用が高くなった。「イタリアは安い」というイメージがボクの中にあったが現実は違う。どうしてだろう。南イタリアに行かなかったからかも知れないが、この国を知らなすぎることが原因のよう。
 少なくともミラノ圏はヨーロッパの中で、パリ圏に次いで豊かな地域。ロンドン圏以上だという。北イタリアの豊かさが南イタリアに吸い取られるを嫌って“北部同盟”という政治組織も人気があるそうだ。じゃ、豊かかと聞かれると、そういう感じもしない。どこかアンバランスな感じがする。旅行者であるボクだけがそう感じるのか、住んでいる人もそう感じているのか分からないが。
 イタリアの政治は、汚職や政治腐敗、資金の一部がマフィアにながれているともいわれている。
 イタリアを旅行していると、マクドナルドの多さにはおどろく。それも観光客が行く場所に出店していて、他のファーストフードはとても少ない。推理好きのボクは不自然さを感じ、エミリオのマフィアの話を思い出す。きっと何かある。
 経済的に豊かなミラノは、人々に余裕が感じられた。ショッピング目的で来る日本人も多そうで、買い物バッグを下げた“こぎれいな”旅行者を多くみかけた。
 観光スポットのひとつ、グラツェ教会のダ・ビンチの『最後の晩餐』に行ってみた。が久々に落胆した。修理中で薄暗い部屋で余り見えず、1時間ほど待たせたあげく(日本人が多い)、ひとり15分以内という。それだけならいいのだが、そのための入場料が高すぎる。修理中なら、見学中止にするか、さもなくば、結局見ることが出来ないのだから、半額以下にすべきだ。この教会は、金儲けに走り過ぎ。最後の晩餐ぐらいケチケチするな!といいたい。今日はイタリア最後の晩なのに。
 東エルサレム、に最後の晩餐の部屋がある。ボクは中に入り、ちゃんと見て来た。ガイドブックにもそう書かれてある。でも、いま考えてみるにあの部屋の正体はなんだろう。イタリアは終わった。
 

 ボクはいままで旅行をしていて3度、盗まれそうになった。1度は、パキスタンのクエッタからイラン国境の町タフタンへバスで行く途中。荷物をバスの上に載せ、一晩中砂漠を走りっぱなしで、この途中で荷物をあさられた。
 2回めはエジプトのカイロ博物館前のバス停。空港からのバスがここに着く際、降りる人を待たず、窃盗グループが集団で乗り込んできて、バスの出入口を押しくらまんじゅう状態にして、ポケットなどから盗む。
 インドでは赤ちゃんを胸に抱いた女性3人囲まれ、おしくらまんじゅう状態。バックから盗られそうになった。赤ちゃんがいるので自由がきかないのだ。敵も考えている。
 盗難ではないが、ナイロビ空港に着き、ボクの荷物がでてこなかった。飛行機会社は積み忘れだと言い張ったが、バックの中身を抜き取ることが時々あるので、信用せず、2時間も空港で抗議したら、やっと出してくれた。ナイロビ空港に放置された沢山のバックがヒントだった。

 

※ イタリアの町には、カフェがたくさんある。外に椅子を出している大きなところから、町角のカウンターのみの店、駅にも美術館にも人の集まるところにはどこにでも。朝、宿の近くのカフェへ行くところから、一日がはじまる。
 最初は注文の仕方がわからなくて、とまどった。イタリアでは、まずキャッシャーに行き、欲しいものを告げてお金を払い、レシートを持ってカウンターに行き、コーヒーを作ってもらう。混んでいる時間だと、カウンター内を飛びまわっている店員に、注文を告げるまでが一苦労。けれどむこうもプロだから、だれが待っているのかわかっているようなのだが、微妙に焦らしたりして楽しんでいるような……気がする。
 イタリアでコーヒーといえば、エスプレッソだ。エスプレッソはかなり深焼きのコーヒー豆を細く挽き、蒸気の力を利用して、瞬時にコーヒーを入れる。できあがったコーヒーは濃くて、強い、そして一人分は40cc位ととても少ない。小さなエスプレッソ用のカップに、半分位しか入っていない。それに砂糖を山盛りいれて、かきまわして、飲む。
 私はエスプレッソに、スチームで泡立てたミルクをのせた、カプチーノを頼む。コーヒーとミルクの量が丁度よくおいしい。もっとミルクを入れたい人はカフェ・ラテがある。これのカップはお腕ぐらいの大きさ。
 朝食はカプチーノとクロワッサンひとつ。クロワッサンにはたいてい、砂糖みつかジャムか粉砂糖がまぶしてあり、とにかく甘い。他のペイストリーも甘い初は「うわあ。最ー!ドイツパンが懐かしい」と思ったものの、日が経つにつれて慣れてくるからおかしい。この組み合わせで250円位だ。
 日本と違うのは、イタリアのカフェは、立ち飲み。席もあるけど、座るとちょっと高くなる。出勤前のひとはいいかもしれないが、座ってゆっくりしたいと思ったのも事実。じゃその分お金払えば、と思うけれど、やっぱりもったいないからなあ。(byハク)

 


 

トップレス海岸

 ミラノから電車で約4時間、フランスのニースに着いた。バジェット旅行者がニース?と思うかもしれないが、確かにすぐ隣にはモナコ、カンヌなど、世界のお金持ちが集まる高級リゾート地がある。それはそうだが、ここニースには安い宿が沢山ある。

イタリアが物価が高く意外だったが、ここに来て、ホッとする。宿はW約4000円で、トイレ、シャワー、更にキッチン、冷蔵庫付き。それにフランスは農業重視国だからか、野菜も豊富で安い。
 ニースは3~4kmほどの海岸線が続いている。最初海岸へいったとき、どこかで見た景色だなっと思っていたら、そのうち思い出してきた、インドのポンディシェリに似ているのだ。やはり、似せて造ったのだろうか。
 この町にはベトナム系フランス人(?)が経営するレストランが多い。国籍はフランスだと思うが、出身は分からない。タイ料理はラオス系が多いらしく、中国人もいるため分かりにくい。アジア系以外のフランス人には、ベトナム系だとか、カンボジア系だとか分かりにくいと思う。ひとまとめに中国系移民だと考えているのではないだろうか。
 インドシナ植民地時代のフランスの影響をみる思いだが、歴史はつながっていることを感じる。

 朝はフランスパンを食べ、お昼前後にトップレスの花咲く海岸で泳ぎ、夕方も海岸に用意されているベンチで本などを読み、半分死んでいた。
 同じ宿の日本人女性は、移動するより一ケ所に長く居るほうが好きだそうで、
「イタリアの海岸で1カ月過ごそうと来てみたけれど、物価が高くて」
「ニースの方が気にいったわ」
彼女はここに1カ月いるという。こうした旅行スタイルは男性より女性の方が多いように思う。
 昨日は、サッカーの決勝戦、フランス×ブラジルが行われた。お昼過ぎころから、フランス旗を振りかざした車やバイクが目立ちはじめ、人々も笛やラッパで騒音状態。車のクラクションが耳に響く。うるさい。試合の開始時間を知らないボクはフランスが勝っての騒ぎだと勘違いしてしまったほど。
 ニースの広場には巨大スクリーンがお目見え、実況ライブが行われ若者を中心に大爆発。ボクらもカフェで皆と一緒に観戦、ブラジルを応援した。結局フランスが勝ち、この騒ぎは、オールナイトで眠りの中まで続いた。
 この決勝戦は日曜日だったにもかかわらず、フランス時間午後9時より始まった。放映の関係とか他に理由があるのかもしれないが、夜の使い方が日本よりも遅め。夕食も遅い。だからサーカーなども開始が遅くなり、騒ぎはもっと遅くなる。でも、翌朝には“フランス×ブラジル、3ー0”と書かれたTシャツを着た人が歩いていたから、騒ぎの裏で、商魂たくましい連中もさぞ忙しかったにちがいない。

 

 部屋にキッチンと冷蔵庫と、鍋や食器まで完備している安宿なんて、そう滅多にない。だからニースではうれしかっった。さっそく買物に行く。
 海岸通りから一本中に入った、旧市街近くの青空マーケットは、沢山の店がでて賑わっている。野菜類のカラフルなこと、並べ方の工夫に感心し、となりのハーブとスパイスの店の、種類の多さに驚く。野菜、果物を売っている店がえんえんと続いているのを見て、フランスって農業国だなと思う。
 量り売りなので、ちょこちょこ買えるのが助かる。インゲンと人参、トマト、メロンなど買う。スーパーも行ってみる。乳製品の種類が多いうえに、チーズ類の切り売り専門コーナーがあること、持ち帰り惣菜類の充実ぶり、なんと、前菜~メイン~デザートまであるのには驚く。
 町にパン屋の数がとても多い。バケットはどこでも一本約100円。アチコチの店で買っているうちに、店ごとに味が違うのがわかる。軽すぎてスカスカのところ、皮がパリパリすぎるところ、味のないところ、シンプルな味のパンでも、食べ比べるとわかる。で、好きなお店をみつけ、朝食前に一本買いにいく。真ん中あたりに紙をくるっと巻いて、手渡してくれる。帰って、カフェオレを作って、さあ朝食。おいしい野菜とパンとチーズとコーヒー。これだけのことに、なんで毎日こんなに幸せを感じるのか不思議だ。
 日本から持って行って便利だったのは、インスタント“だし”(鰹風味と中華風)と“カットわかめ”
 インスタントだしは、野菜の煮もの、炒めもの、スープ等ちょっと味を補うのに便利。わかめもサラダにしたり、きゅうりともんだり、スープにいれたりといろいろ使える。これらは軽いので持って行って正解。塩や油はたいていあるし、醤油や味噌などが欲しければ、自然食品店で小分けしてあるものが買える。
 たいしたものを作るわけではないが、野菜を、好きに料理して、沢山食べられるのはうれしい。それにニースの野菜類は、味が濃くてわりと美味しい。インゲンと人参のソテー、なすのオリーブオイル焼き、トマトサラダ、ズッキーニの炒め煮など、夏の野菜を毎日よく食べた。(byハク)