スペイン

(100ペセタ=約95円)

○大切な、壁の厚さ

 ニースから夜行列車に乗り、国境で1回乗り換えてバルセロナへ到着した。乗り換え待ちの時間もいれて、約11時間かかった。バルセロナの宿はひとり約1800円、トイレ、シャワー 共同。この辺りの宿の部屋は全体に狭く、旅行シーズンでもあり、いい宿が見つからない。
 宿の選び方は、アテンダンスに値段を聞き、部屋を見てから決めるのが一応のパターンなのだが、この時期(7~8月)になると、どこもいっぱいで、部屋を見るどころではない。寝られればどこでもいい(ボクも以前はそうだったのだが)という人なら悩みはないが 、ボクはそうもいかない。
 静かで、ベットのシーツが替えてあり、窓からある程度外が見える、が三代要素。シャワー、トイレは共同でもいい、部屋は多少汚れていてもいい。ベットのスプリング具合も気にはなるが、贅沢はいえない。ホットシャワーや洗面台の有無とかその数、ライトなどの設備とかアテンダンスの対応とかロケーションとか他にもいろいろあるが、バジェット旅行者は値段も大切なので贅沢はいえない。
 だから三大要素の1つ2つは大抵脱け落ちるが、たまにいいのが見つかると、とても幸福感を味わえ、長居してしまうこともある。
 ところでここの宿は別の意味で凄まじかった。騒音だ。 隣の部屋が猛烈熱烈カップルで、夜の合体戦はそれはそれは恐ろしいほどでございました。ベットのきしみがスゴイのだ。ゴジラが怒った時にだす音のように。本人達もあまりのうるささに、戦いの終わった後で笑っていたくらい。それが2日も続いたからたまらない。それで思う、壁の厚さも大切だと。


○ガウディ

 バルセロナといえばガウディの『サグラダ・ファミリア聖堂』もう百年以上も建 設がすすめられている。ガウディが死ぬ際、設計図を残さなかったり、資金難になったり、仕事が緻密すぎるのが遅くなる原因といわれている。でもいつできるか分からない物を造り続けることでもっと“夢が膨らむ”とも思う。完成のない建物って、不条理でいい。
 駅を出ると、頭の上に160mの塔がそびえる。初めて見るその教会は迫力があった。でも、新しく造っている部分(造ったと思われる部分)には柔らかさに欠け、魅力が薄い。やはりガウディが死んだ時点でこの教会の第一期は終わったのだろう。4つある塔には上ることができ、バルセロナの町を見渡せた。
 『カサ・ミラ』とかガウディの残した建造物を見て回りながら、これらには、予算とか工期とがあったのだろうかと思う。
 経済性や期間を気にしないことでこんな建築が可能になったのではないだろうか。面白いのは、その建造物が、ここバルセロナに観光客を呼び寄せ、その恩恵たるや、経済では表し難い。もちろん経済的メリットも莫大だろう。ところが、一方ではお金が無くて建設が進まないという、こういうところが笑える。
 観光スポットのひとつ『グエル公園』は、ガウディが新しい住宅地として設計したにもかかわらず、1戸しか売れず、結局、自分で住んだという。これを見ると当時の評価がみてとれる。
 東京でのボクは団地に住んでいて、周りは殺風景。せめて、壁にヤモリとかロバの絵を書けば、ギャラリーができるかもしれないが、善良な市民感覚ではそんなこと許さないに違いない。当時のバルセロナの市民感覚も、ガウディに対してそうだったのかもしれない。
 さらにこの町にはミロやピカソも居たのだ、頭が混乱する。

 

○ロバの危機

 動物園に行き、ロバをさがし、見つけると思わずニンマリしてしまう、なさけない。
 『ろばや』という名前のお店をして以来、「ろばやさん、ろばやさん」と言われ続けたのだから無理もない。今でも「ロバ」って聞いただけで、体が自然に反応してしまう。言っておくけどロバが好きだった訳ではない。どこか愛着があったのだ。でも、今や切りがたい関係になってきている。
 ロバは人気のない動物だ。動物園のロバの前には誰もいないし、働かされているロバは大切に扱われていない。ヨーロッパのどこだったか、「ロバのようなやつ」と言えばグズでのろまで、頑固でとろくな意味がない。ドイツの自然食品店で「ろばや」の意味を聞かれ「ドンキーハウス」と答えると、おもいっきり笑われた。ロバってむくわれない動物なのである。
 日本にロバがいないのも、あんななさけない動物を飼う位だったら馬にしろ、と軍事的意味あいもあって輸入されなかったのだ。確かにロバの騎馬隊って聞いたことがない。いたとしても馬に負けそうだ。ロバは平和的動物なのである。
 バルセロナの日本語情報誌『OCSNEWS』にこんな記事がでていた。「かつては農村の生活になくてはならなかったロバも時代の変化でお役御免となりつつある。数もこの60年間に120万頭から9100頭まで大幅に減少」なんと驚く数字ではないか。でも、サグラダ・ファミリア教会の正面には何頭ものロバが描かれ、こっそり生き続けているのだ。この記事は多少好意的でこんな風に締めくくっていた。「ロバの将来のためにはふさわしい新たな職場を探してやる必要がある。ミハス村のロバタクシーがそのよい例である」と。ミハス村とは、そして、ロバタクシーとは? 日本でも流行るかな?

 


 

○スリの当たり年

 バルセロナはスリが多いとは聞いていたが、またも狙われた。着いた当日(第一日目は最も用心しなければならないのだが)、サグラダファミリア教会を見ての帰り、地下鉄の乗り換えの駅で。
 駅のエスカレーターでボクの前に1人、後ろ側に2人いて、終点寸前、前のひとりがつまずいて倒れ、後ろの2人も寄りかかってきたのだ。ボクはといえば、もらったばかりの地下鉄路線図を見ることに神経が集中していて、後ろの2人が倒れてくるまで気づかない有様。それでも咄嗟に後ろの人間を60%位の力(本当に転けたのか少し不安だったので手加減した)で顔を叩き、道を開けるべく前の人間を蹴飛ばしていた。深入りしてはならないが、そうとう頭にきていて、日本語で怒鳴りちらした。相手はあくまで事故を装うとしていたけれど、最後には居直ってきた。
 でも相手は“スリ”、スリは相手に見破られれば負けである、きっと彼らもショックであったに違いない。その上、サングラスが壊れ、顔を殴られたのだから。あんた達の負けだ。でもボクが勝った訳でもない。
 危ないエリアでの第一日目は、ポケットに何も入れないことにしているので、被害はなかったのだが、悔しいことに変わりはない。
 スリは自衛用にナイフくらいは持っているかも知れないが、相手に危害を加えないのでまだいい。強盗ならとても危険。ケニヤのナイロビで若い男性旅行者が4~5人いてもナイフを突きつけられただけで、金をとられたと聞いたことがあるが、凶器の場合はさっさとあきらめるか、偽のサイフを渡し脱兎のごとく逃げたほうがいい。
 それにしても日本人は狙われ易いのかなあ。これでバルセロナの印象が2ランク下がった。
             ▼ガウディーが設計したビルの屋上

○洗濯

バルセロナから電車で約7時間でマドリッドに着いた。宿は良く、一人2100円、シャワー付きで、どんどん洗濯ができた。
 ボクの持っている服は、Tシャツ3枚、パンツ3枚、ズボン2枚に短パン1枚、シャツ1枚、フリーズ1枚、靴下2足。以上が全てである。インドや東南アジアだと、薄着でもいいがヨーロッパだとそうもいかない。暑いところもあれば、寒いところもある。
 夏のスペインだとこれはもう暑いだけだから、毎日洗濯しなければならない。バックパッカーの中には、汚くても臭くてもいいという人もいるが、それは他人のことを考えない無神経な旅行者、ボロは着てても、洗濯だけはしておきたいと思う。
 洗剤は、粉せっけんと洗濯用固形せっけんの両方を持ち歩いている。洗面台しかない場合は固形せっけんの方が便利で、溜め水が可能なところは粉のほうを使う、バスタブがあればバッチリ。
 洗濯の後は、干さねばならないので、登山用細引きと吊り金具も持っている。ヒモを引っ掛ける場所がない場合は、悪いが吊り金具で穴を開け、ヒモを固定する。洗濯用品としてはこの他に、洗濯バサミと洗濯ブラシを持っている。たまにはコインランドリーにも行く。
 洗濯機はほとんど水の量が少なくてすむドラム式が一般的。水の温度設定もできるようになっていて便利。ドイツでは強力脱水器やアイロンもかけられるようになっていた。どの程度洗濯できるかも宿選びの大切な要素。
 マドリッドではせっせと美術館をめぐりたおした。『プラド美術館』『ソフィア王妃芸術センター』『ティッセン美術館』など。名だたる画家のオンパレードで目がとろけそう。資料によると、プラド美術館のコレクションは3万点でゴヤ120点、ルーベンス80点、ベラスケス50点などで、そのすごさがわかるというもの。


○クーラーで暑い

  高速列車AVEはとびっきり速く250kmもでる。こうも速いと、のんびり感がなく、アッという間だ。セビリアに着き、駅を出るとガーンと暑い。暑いとは聞いていたが、7月末のアンダルシアはとてつもなく暑い。仕事が昼間2~3時間休みなのも理解できる。その間人々は食事をしたり休んだりしていると聞くが、休んでいても暑いはず、一体何をしているのだろうか。
 宿は白壁に囲まれたサンタ・クルス街、入り組んだ細い路地が、本来、暑さから人々を守ってくれるはずなのだが、いまや逆なのだ。一部の狼藉者がクーラーを入れてるものだから、その室外機のせいで熱が溜っているように感じる。自然条件に対応した建物、構造なのだろうが、いまでは疑問だ。クーラーさえなければ、いい所なのになあ。
 ベッドに寝ていると、シーツが汗でビッショリ。
「やっぱり、クーラーが欲しい」でもバジェット旅行者はそういうことを望んではならないのだ。部屋が2階の上に付け足しのように建てた3階なので、朝からずーっと太陽を浴びる。それで、お昼頃からは暑くて暑くて、午後10時頃になっても壁の熱はおさまらない。その上シャワーは共同で、しかも2階までいかねばならず、それも1つしかない。なんとかしてくれと心の中でいくら叫んでも、誰も何ともしてくれるはずもない。時々妖気漂う後期ゴヤの絵が浮かんできた、危険だ。

○20分間の闘い
 アンダルシアはフラメンコや闘牛が盛ん。
 闘牛については なんと言えばいいのか。楽しいという感じもなくはないが、同時に、憐れみ、哀しみ、苦痛でもあり、それでいて真剣に見てしまった。この日のために闘牛用として育てられてきた元気のいい牛が華麗(叉は残酷)な闘いの末、これまた訓練を積んだ闘牛士の手によって、約20分後には、舌をベロンと出した死体になってしまう。
 素直に死んでくれればまだいいのだが、力あふれる牛は闘牛士(マタドール)の技術を越え、容易には死んでくれない。眉間の辺りが急所で、最後はそこを必死にグサッとやるのだが、何度グサグサ刺しても、生への執着を止めようとしない。あまりにも苦しむ姿が長いので、銃で撃つこともあるという。こんなとき、牛に敢闘賞を与え、生への道を残してやってもいいのでは、と思うが、そんな甘っちょろいショーではない。でも一発で急所を刺し抜き、苦しまずにドタッと倒れた時は、観客のスタンディングオベーションがすごい。白いハンカチを振りかざし、技をたたえる。こういう成りゆきを見ていると、死んだ牛は、犬死ではないのかもしれない。それは、この地方の人々に何かを残しているかもしれないから。それに、生と死を目の前に見せてくれるから。でも何度も見るものではないように思うが。
 フラメンコはスバラシイ。眉間にシワして、身体全体、指先まで使っての表現は、とても魅き付けられる。スカートの動きが、マタドールの布の動きに似ている気がした。こちらは何度も見たい。
 セビリアの後、メッカに次ぐイスラム寺院があるコルドバや、イベリア半島最後のイスラム国で、キリスト教勢力の前に、1492年に無血で明け渡されたアルハンブラ宮殿、レコンキスタ(祖国回復運動)完了の地、グラナダなどを回り、モロッコへと向かった。


○お昼の“食事”

  モロッコから再びスペインのアルヘシラスに帰り、そこで1泊後、翌日、グラナダ行きのチケットを駅で買った。のに、そこからバスで別の場所に連れていかれ、2回列車に乗り換え、すったもんだしてやっとグラナダに到着。所要時間7時間。この間、全く事情が分からず、今でも分からない。それでも夏を楽しむ人々でいっぱいの『コスタ・デル・ソル』の海岸線を楽しめたし、人々の気質にも接することができたので不満はないが。
 スペインのお昼の食事は一日のうちで最も豪華である。日本では、昼食はお腹に食べ物を詰め込めばいいといったところがある、楽しもうと思っても現実問題難しい、まず時間がない。ここでは時間をかけてユックリ楽しむ。
 トレドで会った愛媛の中学校教員のフミさんが「スペインの学校では、先生の出勤は8時半で、午後2時半には仕事が終り帰るの」
「それから時間をかけて食事よ、その後、先生たちは勉強できるの」
彼女の中学校での昼食は、“準備時間15分”で“食事時間15分”なのだそうだ。それをスペインの先生に話すとぶっ飛んでいたという。子供の時から『食事』に対する姿勢はこうも異なる。
 グラナダのランチは、上をみればきりがないが、だいたい800~1000円位で食べることができる。始めにビールかワイン、それに、ワインに果物やジュースを混ぜた“サングリア”か、水を選ぶ。次が前菜で、野菜サラダかトマトベースにいろんな野菜をミキサーで砕いて入れた冷たい“ガスパチョ”、叉は“パエリア”の内どれか。メインは肉とか魚とか卵を選び、デザートにプリンとかフルーツがでてくるのだ。もちろんパンは付いてくる。
 これは安くお腹もいっぱいになる。別にバジェット旅行者のためではないが、強い身方だ。これを午後2~3時頃から時間をたっぷりかけ、おしゃべりをし、楽しみながら“食事”をする。
 これだけ見ているとスペイン人はなまけもので働かないように見えるが、食事に対する姿勢が違うのだ。それにスペイン人はテキパキとよく働く、これは印象的だった。ただどこかシステムがおかしい感じがするが。
 日本では「食事を楽しむ」文化が特別な時以外、少なくとも“男”にはない。「飲みに行こう」とは言っても、「食事に行こう」とはいわない。あったとしてもアフター5のヨレヨレになってから愚痴のための食事で、ここの食事とは違う。
 更に嬉しいことにグラナダでは、夜、カフェで一杯100~150円程度のビールや飲み物を注文するとサンドイッチなどが付いてくる。ビール2杯も頼めば、それでお腹が満足してしまうのだ。これもいい。毎日のようにアルハンブラ宮殿の下辺りのカフェで、夜を楽しんだ。

 


 

○ トレド、サラマンカ

 グラナダからバスで約4時間半でマドリッドに着いた。モロッコの灼熱バスの残像が頭から消えない中、このバスはいうならば、オアシス。44席で席間も広く、エアコンも壊れていなかった。値段は約2000円だったが。
 マドリッドは涼しくなっていた。以前泊まった宿はいっぱいで別の宿に入った、ダブルで約4500円、シャワー・トイレ付き。
 翌日、トレドへ行った。この町は『エル・グレコ』が生涯住み、多くの絵画を残している。グレコとはギリシャ人という意味らしい。観光客が少なければ、静かでいいところだ。
 トレドからの帰りのバスで前述のフミさんに会った。よくしゃべる先生で、バスの中でしゃべり続けていた。初対面ではしゃべらない人が多い日本人の中で、彼女の表現は豊か。

▼サラマンカの大学構内

「毎年夏に、パイプオルガンを習いにスペインに来ているんです」「知り合いができて、講習が終ると、また来年もこようと思うんです」
パイプオルガンは松山の教会で演奏しているそうだ。
 マドリッドに帰ったその夜、フミさんと一緒に食事をした。外は雷雨、日本なら夏も終りといったところ、こんな天気は久しぶりだ。モロッコのワルザザードの暑さがずいぶん以前のことのように思える。
 マドリッドからバスで約3時間弱でサラマンカに到着。このバスは値段が高い分、横3列シートのデラックスバス、素直に感激。
 『サラマンカ』はユネスコの世界文化遺産に指定されていると聞いた。古い建物、町並みがすばらしく、旧市街の中心部には車が入れない。静かで、心やすらぐ。特に夜になると、教会などがライトアップされ、その落ち着いた、幻想的な光の下で人々はひとときを楽しんでいた。
 サラマンカからバスでマドリッドに戻り、夜7時発の夜行寝台列車でパリに向かった。
 スペインのバルは居心地よかった。イタリアのそれより庶民的。2度め目に行くとこちらの顔を覚えているようだ。飲み物もソフトドリンクからアルコールまであり、食べ物も種類が豊富。子供も女性も楽しめ、ひとりで気楽にヒョイっと入れるし、忙しさのなかにも、優しさが満ちている。人の印象が良くなかったスペインで、バルの印象は良かった。スペインは終った。



 
 夏休みにスペイン語を学びに来ている、日本人の大学生に何人か出会った。スペイン語を学ぼうという人が、こんなに沢山いるのはちょっと意外だった。サラマンカで一ヶ月勉強しているという女性に、スケジュールをきいてみた。
 語学学校は月曜~金曜で、朝9時から午後1時までの4時間授業。土日は休みで、その間に旅行をする。新しいクラスは月曜から始まるので、それにあわせて行けばよい。授業料は週2万ペセタ(約2万円)で、アパートやホームステイも学校で紹介してくれるという。
 日本の語学学校から紹介してもらってくる人が多いようだが、各町のツーリストインフォメーションでも、たいてい学校リストがあるので、直接行って探せるし、安いところもある。一クラスに30人ぐらい詰め込むところもあり、そのへんは要確認。また授業料もホームステイ料も、一か月分先払いと言われ、後で変わりたくてもお金を返さないということが、時々あるようだ。(byハク)